人生と心霊の世界

*私たちは20世紀から21世紀と進むにつれて、多くの謎を解明してきました。

*私たちは20世紀から21世紀と進むにつれて、多くの謎を解明してきました。

 

「科学」「哲学」「医学」その他多くの学問が発達していき、人間にはもう不可能なことは無いかの様に大いなる自身を持ち、かっては信じられてきた「神話」や「宗教」等の世界観は、もはや「過去の迷信」とまで考えられるようになってきました。
しかし、まだ大きな謎、いや「最大の謎」がここにあります。それは「人間」です。そして人間の最大の謎はその「心」です。

 

多くの科学の産物は「知力」を人間よりも上手に模倣しますが、「心」については僅かな真似事しか出来ません。「心」は宇宙を思うことが出来ます。その目で見てその存在を確認し、想像し、又感情を持って接することが出来ます。

 

しかし、こんな偉大な心を持った人間もいつかは他の生命体と同じように死に至ります。「死」はその体を「物質の世界」から見えなくしてしまい、その後には何の痕跡も残しません。だから私たちはそれを「無である」と言います。「無である…」確かにそうかもしれません。そしてその次にくる考え方は「それで終わりである」というものです。

 

しかしこの「何もかも終わりである」という考え方は本当に「科学的」なのでしょうか?そもそも科学というものは「存在する」という証拠を求めます(証明)。しかし「存在しない」という証拠を出そうとすると大変です。

 

たとえば「一角獣は存在しない」ということを証明するよりも「存在する」ということを追求したほうが結果的には「どこにも見つからなかったから存在しない」ということが簡単に言えるわけです。もちろん「まだ探しきっていない」ということも言えるのでしょうが、そんなことをしていては大変です。

 

「存在しないことの証拠」を出そうと思ったら、これは地球の隅々まで(深海から氷山の中や火山のやマグマの中まで)調査しなければなりません。それはほぼ不可能なことです。しかし「存在する」という証拠は出せません。そこでこういう言葉が出てきます。「現時点では存在は確認できません」…と

 

そう…それは「死後の世界」の実在についても同じことが言えます。現時点では「死後の世界」の存在は確認できません。しかし、存在を証明した人もないことを証明した人もいないのです。だから私たちは大きな賭けをしているのでしょうか?

 

つまり、ある人は「私は死んだら終わりと思う。だからそれを基準に人生を生きる」という方に賭けた人と、「私は死後の世界はあると思う。そう思ったほうが色んなことが明快に理解できる。私は人生が死で終わらない永遠の旅であると思い、生きていく」
という方に賭けた人との間で壮大な勝負が…

 

しかし、勝負とは何でしょうか?

 

それは勝ち負けが確認されてはじめて「勝負」がつくものです。死んだらおしまいという人にはそれを確認するすべがありません。こんな大きな賭けなのに、たとえ勝ったとしても、何しろ「無」なのですから…。つまり勝っても「ゼロ」なのです。

 

しかし、死後の世界の存在を信じた方には50%の勝率があります。

 

屁理屈かもしれませんが、こんな単純な数字にも「存在の秘密」が隠されているような気がしてならないのです…。

 

この一風変わったサイトは「必ず万人に訪れる死」を見つめながら、「死後の世界」の実在や痕跡を後世に残そうとした先人たちの思想や信条をご紹介しながら「積極的な人生観」を持つという目的の元に立ち上げました。

 

よって決して「特定の宗教や思想のみを広げようとするものではなく、また一切の団体とも関係が無い」ことを明記しておきます。

 

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